序文

地域に根付く仕事がしたい

1996年独立し1998年に法人化して以来、デザインの仕事においてクライアントが直面している課題を当事者の目線で考え、解決できる仕事にしたいと思い実践してきました。 そして、有限会社ROCKETSの社名のもと“もっと遠く、もっと高く”がスローガンだった我社は、オフィスビルの10階約40坪のワンフロアを占有し、より大きな仕事、よりメイジャーな企業のデザインをする事に注力していました。当時の地方のデザイナーはそれが優れたデザイナーの指標のように捉えていたと思います。それは、間違えではないのですが、2008年に業界の構造を変えたいと思い立ち上げた“広島アートディレクターズクラブ”の設立準備で、様々な方と出会い、デザイナーの役目について考えるようになりました。小さな規模でも、頑張っている企業の笑顔が見れる仕事がしたいと思うようになったのです。そして2011年の3.11の後、“生かされているこの地で地域のためのデザインを”とさらに思いを強くし、社名を株式会社地域デザイン研究所に変更、結果トレードマークも“ロケット”から地に根を下ろすための“アンカー(錨)”に変えました。

表層的なデザインだけでは解決できない地域の課題

デザインは戦後、経済復興の知的エネルギーの役目を果たし、主に二次、三次産業の発展に関与してきました。しかし消費社会において、活性化の置き去りにされた感のある一次産業にデザインが必要とは社会も生産者も感じてなかったように思えます。そういう情報伝達や流通は農協や漁協などの組合組織が肩代わりしてくれるものだと信じられていたように思えます。 消費社会に警鐘が鳴らされ、協同組合のやり方に行き詰まりが出てきた昨今、六次産業化という施策のような奨励のような言葉が作られました。弊社の清水もいち早く(一社)広島県農林振興財団から六次産業化プランナーという肩書きを頂戴しました。一次産業が元気にならないと二次、三次が立ち行かなくなるのは当たり前と理解していて、今まで協同組合頼みにしていた結果、危機感を持った生産者が六次産業化という活路に舵をきった時には、加工・流通に関する知識もさることながら必ずデザインは必要になると思ったからです。 そして、我々も今まで通り“売れるため、知らせるため”のパッケージやチラシのデザインだけでは、根本からの課題解決にはならないとわかってきました。その地の事業者個々だけの問題ではなく、人が集まり、産品が広く流通できるように、ヒト、モノ、コトを総合的、統合的に捉えて仕事にしていくことが必要だと考えました。しかし、経験したのはその土地で長く培われてきた風土や習慣を踏まえての仕組み作りコミュニティ作りに参加して、受け入れてもらわないとデザイナーいわんやデザイン行為を信じていただくことは難しいということでした。 序文が長くなりましたが、ここから紹介するのは、弊社が関わらせていただいている長期の里山活性化事業のお話です。

どこにでもある里山のここにしかない景色

市街地を過ぎ国道で郊外に出ると、駐車場を広く取った複合商業施設が現れます。スーパー、飲食店、アパレル店、100円ショップなどが敷地内に整然と並んでおり、日本の郊外の景色はどこでもこのような佇まいで、その土地ならではの風景とは言い難い様相です。さらに国道をどんどん進んでいくと、山あいや平野が開け、今度はスーパーやホームセンターが単独で建っていたりして、少なくなった住人の生活を支えているような感じも受けます。 弊社の清水とHさん、Yさんが仕事の打ち合わせに向かうために郊外を過ぎ、山あいを抜け丘陵を望み、クルマの中からの景色を見たときHさんが「この風景、プロバンスみたい・・・」と呟きプロバンスに行った経験のあるYさんも頷きました。フランスに長く暮らしておられたHさんのこの言葉で、この広島では前例のない里山活性事業の大胆な地図起こしが始まったのです。

土地に根付かない汎用マニュアルとメソッドだけのコンサル

地方創生が叫ばれて久しく、3.11以降さらに地域を見直し活性化させる事業と、それに給付する助成金制度も多く出来ました。それに伴い様々なスタイルや規模の町おこし・地域活性等のコンサルタントやプロデューサーも各地にたくさんいらっしゃいます。地元では、将来のためにこういう方々の指導を仰ぎ、活性化につなげようと目的にあった助成金を申請しています。しかし、事業期間が終わりその方策が活かされ地域が活性化したという事例は少なく、一部商品のパッケージが新しくなった、冊子が出来た、ホームページが出来た、しかし、地域経済やコミュニティに影響があるほどではなくコンサル会社に多額のお金を支払っただけで、殆ど何も変わらない。と言う話をどの地方でもよく聞きます。そして、“・・・が出来た”このパートの一端を我々デザイナーも担っているのは事実です。公金を費いながら土地の人が、“何か新しいことが始まる”“面白そうな方向に向かっている”というような意識さえも根付かせていない事に腹立たしささえも覚えることがあります。逆に言えば、どこの県でもどの地方でも通用すると思っている論法と形だけを取り繕ったデザインでは難しいということだと思うのです。

たったスタッフ3名のデザイン事務所に課せられた大きな使命

話は戻り、清水と外部スタッフのHさん、Yさんが向かった先は、広島県東広島市の河内町にある広島県央商工会でした。県央とは広島県の真ん中で、県央商工会は河内町、福富町、豊栄町の3町の事業者を組合員として構成されています。この地域でも今まで、いろいろなコンサルタントに相談をし、助成金を取って施策を繰り返しましたがどうもしっくり行かず、以前あるコンサル会社の下請けでこの商工会の仕事を受けた際に、他の企画会社とは違う印象が残っていた清水に、思いきって白羽の矢を当てたのだと思います。コンサル会社でも、広告代理店でもなく、3人しかいない小さなデザイン事務所に県央3町の命運を賭けるなど、失礼とは思いますが藁をも掴む気持ちだったのかもしれませんね。(実際に後日、商工会の方々は弊社が3名でやっていることに大変驚いていました。) ミッションは、経産省が管轄する全国商工会連合会の伴走型小規模事業者支援推進事業補助金を使って、地域の事業者に力を付けてこの地に賑わいを創るというものでした。過去のコンサルタントもこの助成金で受注していたのです。 清水が打ち合わせから帰り、いよいよ、弊社の鍋にこの案件が入りました。こんな重い仕事を受けながら、だいたいにおいて膝を突き合わせて深刻に会議などしたことがなく、妙な阿吽の呼吸で話は進んでしまします。時に、言った言わないの口論になる事もありますし、他のクライアントのお仕事も頂戴している業務の中でどう上手く料理していけばいいのでしょうか。もう一人のデザイナースタッフと開き直りも手伝ってとにかく楽しんで事に当たろうと、要は気力と体力勝負なのです。

どうしてここをプロバンスなどと言わなきゃならんの・・・?!

清水は堰を切ったように、クルマの中で見たプロバンスのような風景を熱弁し、この事業のテーマを“プロバンス”で行きたいと言いだしました。それはそれは、とても違和感を覚えました。はっきり言って広島の片田舎をプロバンスっていうのはかなり無理があると思いましたし、当事者たちの賛同などもらえるはずが無いように思えたからです。しかし、当人は瀬戸内海でも地中海って呼ばせてるし、小岩井農場はスイスだと言っているんだから・・・と言って引きませんでした。 いきなりイベントをやったり、場当たり的にパッケージやホームページを刷新したりするのではなく、一つのコンセプトの柱を立てて、理念のようなものを提言しベクトルを合わせていくのは大変有効なことです。我々は清水の鼻息に押されて、プロバンスという文字を企画の鍋に押し込んでしまいました。 やるとなれば、良い結果を出すのがプロの掟です。現地でマルシェを開催することは決まっており、それに合わせて地域産品も徐々にテーマに沿ったデザインのブラッシュアップをする、外部スタッフの料理研究家のYさんたちに商品開発をお願いし新しい産品を創造する等々、盛りだくさんの事業計画を全てプロバンスをテーマに立てて清水は商工会に提案しました。現地でのマルシェは「県央マルシェ」ではなく、仏語風に「Centre Marche セントルマルシェ(真ん中の市場)」にしようと決めました。そして当日はサイクリストたちも集いたくなるようにプロバンスポイントとして、SNS映えする所に可愛い立て看板も考えました。このあたりはサイクリストにも人気がある道だと聞いたからです。 事業者が集まる会議に提案する前に、商工会内部で事前に意見調整は必要です。清水は会長、副会長、職員の方々に企画のテーマと趣旨を説明します、やはり彼らは違和感を覚えたのは予想通りでした。しかし、今まで散々いろいろな企画を予算を投じてやり尽くして来ました。弊社の提案がダメなら他にどうするのとかという事も思い浮かぶ余地もなく、彼らはこうなったらこのプロバンス企画に賭けて事業者さんたちをどう口説くかという事に注力したらしいのです。 事業者を集めての会議では、画像も映し出し熱っぽくプレゼンテーションしました。事業者の皆さんは唖然とした感じでした。誰もプロバンスなど行った事もないし、聞いた事もない方もおられ、賛否という意見も出ない状態でした。「今まで、やった事のないテーマなのでやってみなければわからない、プロバンスという言葉を利用できるようになりましょうよ。」という会長や副会長の後押しを得てとりあえず、この計画は粛々と船出する事になったのです。事業者の方々は、全く理解できずに煙に巻かれたような感じだった事でしょう。県央プロバンス計画は皆さんが乗船せずまま出航してしまったようなものでした。

とにかく、この地で今までにない集客数を!

まずは、すでに販売されている産品を集めたマルシェの準備をせねばなりません。 運営会議を重ねるたびに、やはりプロバンスというテーマにアレルギーのある事業者、もしくはどうすればいいのか解らない事業者ばかりでした。我々はこのマルシェに「セントルマルシェ(真ん中のマルシェ)」と名づけ、とにかく広島市内からもわざわざ行きたくなるようなプロモーションをすることに注力しました。メインビジュアルはとにかく楽しそうで人が集まるわかりやすいものにし、ポスター、フライヤー等、それとSNSにデザインを添付してとにかく情報拡散の拡散に努力しました。テレビコマーシャルや新聞広告、折り込みチラシなど王道の広告媒体は使わず、というかそのようなメディアでの広報は予算計画には記されていませんでした。その代わりに次に繋げるために当日のテレビ・ラジオの情報番組や新聞・タウン誌の取材等は積極的にお願いしました。 「ここがプロバンス?」それがフェイク(嘘)でも言い続ければそのように思えてくる。事業者のやる気に期待するしかありませんでした。SNSを使った情報拡散はかなり有効でした。特に以前、清水が組織化した「キッチラボ」という4人の料理研究家のチームとフランス帰りのHさんはセントルマルシェの商品開発や当日はブースも展開してくれますので、積極的に配信してくれます。彼女らのFacebookのフォロワーは各自1,000人以上おり、私と清水のFacebookのフォロワーを合わせると共通の友達を省いたとしても5,000人以上はいます。メインビジュアルを一斉に投稿して、各所にフライヤーを置かせていただき、Facebookのコメントにはフライヤーを見たという方もいらして、セントルマルシェ当日の期待値を高める事が出来たのです。