Centre Marche・・・なぜ?

2018.08.18
「Centre Marche」セントルマルシェ。
東広島市豊栄町、福富町、河内町を広島県央と呼ぶ。
行政区分の呼び方。

全国に「県央」と呼ばれる場所は大変多い。
「県央」という呼び方は一般的にはあまりなじみがない。
地元ではやはり豊栄、福富、河内と呼ぶ。
地域外でもあまり呼ばない。商工会や行政的呼び方。

県央は広島県の真ん中。フランス語で「Centre」。
志和から福富に抜けた途端、広い田園風景と遠くに見える小高い山々。
標高350m。
赤瓦の屋根の民家の間を小さな川が流れる。
麦やハーブもあるしぶどう園、りんご園、牧場も養鶏場もある。

この風景はまるでプロバンス!

広島県内外の飲食店からの引き合いの多い農家さんもいる。
広島市民、東広島市民の胃袋を掴んでいる。
フランスは食料自給率120%。
こちらも目指そう。

スローライフ。
古くから伝わる麹食品。味噌や甘酒などは今も家庭で作る人が多い。
そのワークショップにも多くの参加者がある。
分水嶺のある良い水、高地冷涼な地域だから作られる保存食。
ジビエ料理を食べる店もある。

つなげてきた「スローライフ」。
特別それを語らずとも自然に繋がってきた。

それが広島県央地域。豊栄、福富、河内町。


地域活性事業は全国津々浦々でやっている。
商店街でも中山間でも港でも。
そしてそこから生み出される商品は補助金やファンドで
商品開発やパッケージデザイン、展示会出店まで支援してくれる。
全国津々浦々で。
頭になんとか町のコンフィチュールとかなんとかさんのジャムとか、
なんとかはどこでも同じ。
同じ事をしていていたら埋もれるだけ。

小岩井農場を「日本のスイス」と言う。
軽井沢しかり。
瀬戸内海は「日本の地中海」と呼ばれる。
中国山地を「広島アルプス」と呼ぶ風潮が見受けられる。
誰が呼び始めたのだろうか。
どうやって定着したのだろうか。
では戦略的にそれを発信してはどうだろう。

「Centre Marche」はこうして生まれた言葉である。
第1回CentreMarcheは福富町のきこりやで開催された。