伝統野菜広甘藍

2017.01.19
呉市広町で約100年前に生産されていた広甘藍。古くは中国や味かに輸出もされていたという。
飢饉を救ったとか様々ないわれがあるのはそのおいしさや、時代とともに廃れてていった哀れさも相まっているのかもしれない。その広甘藍を長く種を取り続けていたのが広島県のジーンバンク。そこから種を取り寄せて独自に生産を続けていたのが呉市農業振興センター。6年前に呉市の産物を世に出そうとする取り組みの中女性技師が広甘藍をブランド化しようと取り組み始めた事がきっかけである。
広甘藍の糖度は芯の部分は9度以上になる。シャキシャキとした食感は独特で苦みのない味わいは梨にも似ている。

11月が出荷最盛期で2月には終売となる。
そんな限定販売しか出来ない広甘藍のは旬が際立っているとも言えるが、反面販売期間が少ないため知名度を上げる事が大変難しい。それでもブランド化に取り組むのは理由がある。

呉市も市街地意外の耕作放棄地も増加し、離農者も増え続ける。
要するに売れるものがあれば再び農業従事者が増えるのである。
そのためにも広甘藍の販路が重要で、それも高級路線である。
1玉400円という高級キャベツが広甘藍。

そのために何をすべきか。

① 発進力の強いパワーユーザーに指示されること
② 市場評価の高い飲食店に使ってもらうこと
③ 販売先を増やしユーザーとの接点を増やす

これからまずは広島市内で活躍する発進力の強い若手料理研究家の力を借りる事にした。
畑に行き生産者と話をする。
広甘藍の生い立ちを知る。
そして料理教室で使ってもらい、
その内容をレシピブックに掲載する。

さらに飲食店で使ってもらうためにそのレシピを公開する。
飲食店内のPOPで広甘藍の特徴を表現する。

集大成として大試食会を開催し、メディアやバイヤーを招待し広く告知する。

ここで重要な事は販路として重要なJAの理事長の発言である。
ここまでの取り組みの先にあるのはまとまった量の広甘藍をいかに捌くかである。

我々はある場面では完全に裏方である。
ひな壇に上がる事はない。

ひな壇に上がっていただく方のために、その先のためにあらゆる手を尽くすのである。
[caption id="attachment_811" align="alignleft" width="1632"] 収穫される広甘藍。紫になった部分は寒さから身を守ろうと糖分が変化したもの。[/caption]